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桐陰会雑誌 - この記事は連載の一部です
パート 130: この記事

電波研究会
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昨年の秋、ぼくたちは当時の三年生からひきついだ。秋といっても二学期の終わりごろで、部、研究会中でいちばんおそかった。
三年生は高校入試をひかえて、責任者、会計を選挙したきりで、手をひいてしまった。急にひきついでも、うまくいくわけはない。ばくたちのすべり出しはうまくなかった。それでも会合をひらけばかなり会員がきた。
ことしは、今までとちがう方法をとった。今までは、集団でひとつのものを研究し、それを学芸会などで発表した。今年は、一人でひとつのものを研究することにした。この方法をとったのには次の三つの理由がある。

一、研究発表会に出られなくなった。
ことしは申し込みが多く、電研も申し込んだのだが、昨年、出場したため出られなかった。

二、ひまな人の出ないようにしたい。
団体でひとつのものを研究していると、一度にたくさんのしごとができないから、ひまな人が出てくる。また、個人の仕事が少ないので、会合がつまらない。

三、測定器をそろえる。
今までの電研には測定器がない。(昭和二十八年ごろの桐陰会雑誌をみると、少し測定器を買ったような文がのっているが、現在はない。)そこで個人で研究するようにし、学校からの予算で測定器を買い入れる。

以上のようなものであるが、後のふたつの理由は、ことしの目的でもあった。「測定器、工具をそろえる。」のは、買えばよいのであるから、非常に簡単だが、「ひまな人が出ないようにしたい。」ということは完全に失敗した。というのは、たしかに会合に出てくる人でブラブラしている人は少なくなった。しかし、出席者が非常に減ってしまったのである。今まで、団体でやっていた時には、たまに出席しても、仕事(主に製作)があった。ところが、個人でするとなると、たまに出てくる会員は、自分の仕事をもたないから、やることがなくなってしまう。そして、当然、出席者は決まってしまう。
出席率も、最初の頃は九〇%ぐらいだった。このころは、まだ事務的なことが多かったため、高出席率だったのだ。
そして、全員出席の時「個人的に研究し、予算で測定器を買う」ということは、満場一致で可決された。
それが、可決されたことを実行に移したとたん五〇%くらいに減った。特に、春休みの時は、三日会合を開く予定だったのが、第一日目は三人(もう一人、くる予定者がいたが、開けないことを電話で告げた)。二日目、五人(そのうち三人まで柔道部で、部練が長びごきひらけなかった。)三日目は、開けないことを黒板に二日目に書いていった。こんなぐあいで、1度も開けなかった。第一日目、第二日目は、開けないことはなかったのだが、先生と、事務の方との連絡がうまくいかず、電気がきてなかった。(電気のない電研は、水のない水泳部に等しい。)三日目に来た人があるかどうか、一学期になってきいてみたら、一人もいなかった。こんな調子であった。
一学期になって学芸会が近づくと、出席者は五人くらいになった。三年生(といっても二·三人だが)は、照明の時、左右のスポットの連絡用インターフォンの改良をした。ところが、部品配置が従来のままなので、かなりトラブルになやまされた。しかし、学芸会の時はうまくいった。
学芸会が終わると、院戦が近いため部が連日部練を行ない、出席者がいなくなり、一カ月間、会合が開けなかった。結局、どの研究会も共通のなやみである、会員が部にひっばられてしまうということになってしまった。
しかし、それは、現在の研究会が部よりつまらないからであって研究会自体が悪いのである。また学芸会に出た研究会の場合、発表前は部にはいっている人も、それに協力したのであるから、院戦前は強制的に会合に出すようなことがあってはいけないと思う。
もう、次期責任者、会計も決まったが、これからも、個人研究にする予定である。測定器工具もそろいそうだが、会員が多数出席しなければ何にもならない。それには、部より研究会がおもしろくなる必要がある。それが、これからの電研の目的であろう。このことは、電研だけでなく、研究会すべての大事なことだと思う。

電子電脳技術研究会
著者
電子電脳技術研究会
筑波大学附属中学校
桐陰会雑誌 - この記事は連載の一部です
パート 130: この記事

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