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桐陰会雑誌 - この記事は連載の一部です
パート 144: この記事

電波研究会
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電研というのは目立たない研究会である。そもそも電波というのは非常に近よりがたいイメージがあってなかなか理解してもらえない。そしてつまらないものと思っている人が大部分だと思う。
しかし我々がやっているのは別にそんないかめしいものではない。我々はアマチュア無線を通して、友だちをふやし、また、そうしていくと当然電子工学をかじることになるので、その知識を日常生活に役立てようとしているのである。電研はまた、特別学習の時間などを通してみんなに貢献している。
ではPRは終わりで反省に移る。
今年一年間は、もっぱら個人研究で全体としての研究はあまりやらなかった。しかし、一年生は非常に熱心な研究をして、特に学芸発表会用に作った作品は、とてもよかったと思う。また、ハムの局も二つほど増えそうである。とにかくみんなよくやってくれて、一年生には文句のつけようがない。
二年生は、開局している人が五人もいてこれまたとてもよい。電子工学に関する知識もなかなか豊富で、個人個人の研究はなかなか充実している。欲を言えば来年は、まとまった研究もしてほしい。
さて我々三年なのだが、これはここ五年間で、最低だっただろうと思われる。今までは電研の会員はクラブに入っていない人が多くそのせいもあって活動も活発だった。今年はみんなクラブに属していて(そのことは悪くないのだが) 研究会よりクラブを重視する傾向があった。そのせいで活動は二年生が中心

(2ページ目を撮り忘れてるっぽいです…すいません…)

コンピュータ研究会
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(前のページを撮り忘れてるっぽいです…すいません…)

つぶれちゃえなんて思っていたのを考えると学芸発表会に参加できただけでも上できなのかもしれない。
このコンピュータ研究会というのは僕の考えたところによれば、コンピュータを使って遊ぶことのできる人の集団であって、みんなでそれについて研究しょうなどというものではないはずだ。そのコンピュータが使えなくなってしまったのだからこの研究会は去年の十一月でつぶれてもよかったのだ。それがここまできてしまった影には、責任者の努力とそれから附中にコンピュータがあるというかすかな希望があったからだ。この研究会をつぶさないためには、そのコンピュータを使用させてくれ、きちんと教えられる先生をつけてくれることが必要だと思う。次期責任者にはまずこの点を学校側とかけ合ってうまくやってほしい。
とにかく今年一年ぼく達はあまり活動をしなかった。ぼく達は失敗作なのだからそれもしかたがない。しかし北山修さんは言っていた。「失敗作はもう二度と失敗作を作っては、いけない。」と。ぼくはこの点だけはうまくできたと思う。今年はいった一年生はやる気のあるいい人が多かったし、また、ぼく達の教え方ではたりないので日本情報処理センターへ受講にいった人もいる。ぼく達は失敗作は作らなかった。
最後にあまり文句もおっしゃらずにいろいろと許可をくれた〇〇先生にお礼を申し上げます。
(〇〇)


日本情報処理センター
1967年に設置され、2011年に今のJIPDEC(日本情報経済社会推進協会)に名称変更された。U-20プログラミングコンテストを主催していることでも有名。2004年から、2010年にIPA(情報処理推進機構)に移管されるまで、セキュリティ・キャンプを主催。

日本情報経済社会推進協会 - Wikipedia をもとに作成

この約50年後に部員が同じ団体が主催していたセキュキャンを受講することになるのエモい

電子電脳技術研究会
著者
電子電脳技術研究会
筑波大学附属中学校
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パート 144: この記事

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