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桐陰会雑誌 - この記事は連載の一部です
パート 153: この記事

電波研究会
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責任者になることが決まったとき正直に言えばとても不安だった。二年生のときは、ちゃんとした活動はほとんど行われていなかったのだから―。しかも、部員は新三年生の女子三人と、新二年生の男子二人だけで、たった五人しかいなかった。そうなると、活動をより充実させる―などとは言っていられない。このままではつぶれてしまう。そこで、まず会員を集めることから始めなければならなくなった。
そして、一年生の入会も済むと、会員にはならないが、活動に参加しようという三年生も含めて、総員二十近くにふくれ上がった。しかし喜ぶのもつかの間、それまで一年間のブランクがあったために、私達はどのように進めていったらよいのかわからない。そんな中で、「確実に活動が行われるようにしよう」ということを目標にして、とにかくがんばった。
やがて学発―。学発だけ参加しようということでさらに三年生が加わり、このころには途中から入った一年、二年も合わせて二十数名になった。そして、そのうち十五名ぐらいがまじめに活動してくれた。(残り約十名のうちの数名は学発に関しては、他の団体でのみ活動することになった。)しかし、電研の活動は発表しにくく、結果はあまりよかったとはいえなくなってしまった。(でも、今年たった五人から出発した電研がここまできたなんて、大きな進歩があったとは思いませんか・・・・・?) ところで、今の電研はだんだんとマイコンクラブに近づきつつある。時代の流れもあるし、確かにそのために(?)会員も増え、活動も活発化してきた。決して悪いことではない。が、これまで多くの先輩が行ってきた活動(例えば無線・オーディオ・電子工作など。無線は今も少しは行われ、学発ではラジオを作った会員もいたが、マイコンに圧倒されてしまっている。)を忘れて欲しくない。これだけの人数(三年生がぬけても十五人ぐらいいます・・・)であれば、コンピューターに限らず、研究の幅をもっともっと拡げることができると思う、というよりそうして欲しい。(誰が何と言ったって『電波研究会』なのであって「マイコン研究会』ではないのですから・・・ネ。)
最後に―ここまで来られた理由に予算では買えないマイコン、無線機を使った活動ができたことがある。これらを持ってきてくれたり、活動に参加してくれた三年生、会員のみなさん、そして、力不足な私達にいつもご指導してくださった〇〇先生に感謝いたします。
(三ノ二 〇〇)

電子電脳技術研究会
著者
電子電脳技術研究会
筑波大学附属中学校
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